左官
【コラム】技が冴えアートにつながる左官
私達の住まい作りに欠かす事が出来ない左官さん。
日本の伝統建築に代表される神社仏閣には構造体の木と壁部分に化粧材として
漆喰等が多用されてきました。
既製品では絶対に表現する事の出来ない味わい深さや奥行きが表現されています。
塗る回数を変えることにより微妙な色合いも可能です。
コテで模様をつけ陰影で風情のある趣きを見せる等まるでアートのように表現も生まれています。
左官さんは塗り材に合わせた手仕事が魅力で漆喰、土、珪藻土,火山灰など天然素材を活かした意匠や、さらに藁や石を混ぜ独特の風合い美しさを表す事で現代のニーズにも対応しています。
これら自然素材は吸放湿性を発揮して結露を防いだり空気を清浄にする機能を持ち季節に応じて室内環境を整えてくれます。 最近では有害物質を吸着分解する事等が知られるようになり自然住宅を唱う建築メーカーはこぞって使用するようになりました。
interview
東瀬戸 隆さん
左官になったのは22年前、高校を卒業してすぐの事でした。今40歳です。
修行時代はつらいことの方が多かったですね、親父のサポートをしていましたが縁あって京都の建設会社に就職しました。そこは昔ながらの厳しい徒弟制度は無かったですがここで左官の基礎を学びました、スピード、正確さ、仕上がりの美しさ等です。
多くの左官職人に揉まれるなか自分のレベルを感じながらも負けたくない一心でコテを握っていました。それが今の自分を作ってくれたと思っています。
左官の仕事領域は広いと思っています。構造的に頑丈に強い所はより強く、意匠の表現をする等その目的に応じた技術を駆使して作業していく事が大事だと思っています。そこにはやはり基本がとても大事ですね。
人の挨拶に始まり現場のきっちりした作業手順や管理がごまかしのない仕事につながっています。左官の仕事はもちろん美しい仕上がりが当然ですが何年かのちにその評価は出るものと思っています。その時のその場しのぎの仕事では確かな仕事にならないと思ってます。コテを持って塗れればいいという仕事ではないですね。だから奥の深い面白い仕事だと思っています。
親父の仕事に憧れて
小さい頃から、親父(左官)がよく現場に連れて行ってくれたので、親父の背中を追って左官になりました。いつもは口数の少ない親父が「この家も仕事させてもらった、あそこの家も」と言う時、生き生きとして、かっこいいなと思って。
中学になると、長期休暇にはアルバイトとして仕事場に入り、雑用をするようになりました。夏は暑いし、毎日早朝から真っ暗になるまで仕事だったので、やめたいと思っていたところ、帰り間際に施主様が「暑い中よく頑張ってくれたね、ありがとうね」と労ってくださった。その時、きつかったことがいっぺんで吹き飛びました。親父も、現場が終われば、施主様に感謝の言葉をかけてもらっている。それを見たとき、(左官の仕事は)仕事が半永久的に残るし、こんな言葉をかけてもらえる仕事をなんだなと。だから、僕は、左官の仕事そのものに憧れたというわけではないんです。
昔は、塗り壁など多かったと思いますが、今はどんどん簡易化され、工期短縮も求められます。左官仕事は手間暇かかるし、工期的に延びてしまうので敬遠されるメーカーさんもありますが、クロスと違い、いろいろなパターンやバリエーションをつけられるのはコテならではの面白みです。技術的に難しい注文をいただくこともありますが、あれこれ実験してやれるところは挑戦して極力要望にはこたえたいと思っています。
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